一日一想

141文字以上の雑多な話題

接続詞や副詞に漢字使うのはもうやめませんか

 

 

 

補助動詞を漢字にしてはいけないのはルール

今回は文章の書き方のお話。

公用文の書き方 5 “動詞は漢字で,補助動詞は平仮名で書く”と覚えるべし :弁護士 菊池捷男 [マイベストプロ岡山]

「〜して見ます」「〜して下さい」と書きがちですが、動詞に対して使われる補助動詞はひらがなにするのがルールです。

たとえば前者の場合。〜する+みる の構造ですが、動詞に対して動詞を使っていますよね。これが補助動詞です。実際に「見る」わけではないですよね。なので、「〜してみます」と表記します。

ルールといっても公用文の場合の話なので、日本語として間違っているわけではありません。なるべく気をつけるといいよね〜程度のもので、わたしも自然に誤用してしまいます。ですが、読みやすい文章を書くには留意するといいかもしれません。

 

 

接続詞や副詞は自由だけども

いっぽう、接続詞や副詞には特にルールはありません。ありませんが、読みやすい文章にするには、やはり極力ひらがなを使ったほうが良いですね。

 

「ひらがな書きが適当な語」の例

 

予め此の様な記事を用意したので、須く目を通す可きで在ります。

…なんて書き方されたら読み手もたまったものじゃありません。現代においては、ただ変換できるから、というだけで何でもかんでも変換してしまう人がいますが、ここまでに挙げたものは意識的に変換を避けた方が良いかもしれません。

 

 

頭のいい人の説明力

本当に頭の良い人は、「説明力」が常人より長けています。説明力とはつまり相手に伝える力。誰にでも伝わるよう発信するには、誰にでもわかる言葉に噛み砕いて、誰にでもわかる文章を書く必要があります。

何でもかんでも小難しい表現を使ったり、無駄に漢字にして学力をアピールする人も中には存在しますが、そのような文章を積極的に書く人は、本当に頭の良い人とは言いにくいかもしれません。

もちろん、創作作品についてはこの限りではなく、あくまで誰かに何かを伝えるときの話です。わざと文章を崩したり、難解にするのもまた「味」ですからね。

 

あ、ちなみにですが、かぎカッコにもちゃんと使い道は決まっていまして。

「」は会話や強調に使われますが、『』はかぎカッコ内のかぎカッコか、もしくは作品名を文中に出す際に使います。基本なので押さえておきましょう!

 

以上、文字シロウトの戯言でした。

 

 

 

人は死を避けて生活している

 

 

 

 

死について浅く考える

前回に引き続き死のお話。あえて死について、なるべく浅く考えてみましょう。

『「死」とは何か』という本があります。イェール大学というところで行われている人気の講義を日本語訳した本です。去年あたりにぱらぱらと乱読しましたが、なんとなくいまいちしっくりきませんでした。ざっくり書くと、「人は死んだら終わりです!無!でも自分が死んでも他の生きてる人は生き続けます!お前が死んでも世界は回るぜ!」「それでも死が怖い?どうせ年取ったらやりたいこととかなくなるからみんな死を受け入れるようになるぜ!安心しな!」みたいな内容だったような気がします。

この考え方を客観的な死とすると、ハライチ岩井の考えは真逆。「死んだらぱったりすべてが無!ほかの人とかもみんな消える!無だよ無!(澤部に対して)お前もいなくなるから!無!」みたいなことをラジオで言っていました。こっちのほうが人間味があっておもしろい意見だとわたしは思います。岩井いわく、「死んだらみんな0になるんだから働かなければ働かないほどお得、どれだけ頑張ってもいつか無になるなら頑張るだけ損」という話もしていました。一理ありますね。

 

 

死への忌避と恐怖

いきなり死の話題全開で始めましたが、基本的にみんな死の話題は嫌いですよね。答えがないので結論が出ませんし、何より怖いのでみんな避けて生活します。もしくは、宗教的観念から死を理解したつもりになります。(それを否定するつもりもありませんし、素晴らしい手段だと思います。)

宗教的に死を理解している人はさておき、わたしなんかは死の話題を日常的に避けていても、ふと夜眠れないときにふわっと考えたりすることがたまによくありました。「あれ?死んだらどうなるんだ?」って、中学生くらいの時分からですね。「死んだら無?無って何?夜神月も死んだら無って言ってた!じゃあ死神って何?死神とかにはならないの?何あれ??」といった具合です。死神が目の前にいるのに「死んだら無」って答える夜神月、サイコ。

ちなみに、このような死への不安から引き起こされる不安症のことをタナトフォビアと呼びます。死んだらどうなるのかという不安感に駆られ、生活に支障をきたすレベルになるそうです。タナトフォビア・シンドロームの人には、この記事は少々辛い内容かもしれませんね。

 

以上のように、死んだらどうなるかの答えは現状存在しません。ですが、死について考えるという行動に対する答えは4つ。①無に怯えるか、②無を受容するか、③宗教に縋るか、④宗教(自分なりの考え)を作るか。わたしは①。死はめちゃくちゃ怖いです。でも、この4つの解決法の外に、もう一つだけ答えを見つけました。、

 

 

 

霊よ居てくれ

そう、前回書いた通り、身心一如(しんじんいちにょ、肉体と精神は一体のもので分けることができないということ)ではないことの証明です。霊がいれば魂の存在を証明できて、死後について考えることが容易になります。死が「終わり」であると同時に「別の始まり」と認識することが出来るんです。

人は生まれながらにして死という絶望を、みな平等に持っています。その絶望に対抗する手段、おばけ。普段はみんなから畏怖される存在ですが、わたしは、もっともっと存在を待ち望むべきものだと思っています。

 

 

 

おばけに希望を抱く

 

 

 

 

 

魂って存在するの?

お化け、怖いですか?怖くないと言えば嘘になりますが、恐怖よりも希望を感じる今日この頃です。なぜなら、霊がもし本当にいたら、人間はようやく「死後」について考えることができるからです。

 

死後について考えるってどういうこと?…わたしの見解を解していきます。

まず、宗教的なものを全部取っ払うと、人は死んだらどうなるのか、その答えは誰一人わかりません。みんな死んだことがないから、そして死人に口が無いからです。限りなく続くと思われるーー終わると表現するのが正解かもしれませんがーー無がおとずれるというのが一般的な見解でしょうか。ですが、その現実を人は恐れるので、不安を紛らわすために宗教を作り、信仰することで、死という未知への恐怖をやわらげ、消化するわけですね。

 

では、なぜ「無」になると考えられるかというと、現代科学では肉体と精神を分けて考えることができないからです。肉体と精神を別物と捉えることができない限り、肉体が滅びればそれで終わりという結論になります。つまり、「魂」の存在を証明できない現状なんですね。なので、スピリチュアル・トークをするにも、そこに懐疑性が生まれます。「もしかして死後とか無いんじゃね?」となり、人は死を恐れるようになります。わたしも怖いです。

 

 

魂の重さは21グラム?

そんな魂の存在問題ですが、変わったアプローチで解決を試みた人がいました。100年以上前のことですが、アメリカの医師であるダンカン・マクドゥーガルさんは、「人間に魂はあるのか」を科学的に証明しようとしました。研究の末、ダンカンさんは人間が死んだ瞬間21グラム軽くなることを突きとめたそうです。犬など他の生物ではその現象が確認できなかったので、つまり、人間だけには"21グラムの質量を持つ魂"があるんでないの?と考えました。

そんな内容をテーマに作られた『21グラム』という映画もあるくらい有名なお話です。他作品では、『GANTZ』なんかでも魂の重さについて触れられています。現代では、この実験には科学的有用性が見当たらないとされているのがとても残念ですが、魂を物理的視点から捉えるという発想はとても面白いですね。

 

そんなこんなで、現代の科学では魂の存在を証明できず今に至ります。人間には魂など存在せず、われわれはただの原子の集合体なのでしょうか?死んだらそれですべて終わりなのでしょうか?

 

 

死後について考える唯一の方法

この悲しい実情を一転させられる方法、それが「霊の存在」なのです。霊がいることさえはっきりと示せれば、魂というものが存在し、肉体が死んだ時に魂が分離するケースを実証できるので、飛躍させれば我々は「死後」についてようやく考えることができるのです。どうですか?ワクワクしませんか?ワクワクしませんか。そうですか。

 

霊の存在を科学的に証明できれば一発ツモで、我々は安心して「死」を終着点ではなく始発点として考えることができるようになります。お化けの皆さん、わたしの目の前に現れるか、もしくはサーモグラフィーくらいには映るように肉体改造していただけませんか?

 

知り合いのみなさんも、万が一不慮に見舞われてわたしより先に亡くなったら絶対目の前に現れてくださいね。secret baseでも流しながら手厚く出迎えますので。

 

 

 

コールドスリープされてみたくない?

 

 

 

 

カウボーイビバップのとある話にて

カウボーイ・ビバップというアニメをご存知ですか?1998年に作られた不朽の名作です。

今はなきマングローブという会社により作られた、ジャズとSFを組み合わせたシブくてシブい作品なのですが、先日見た15話「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」で仲間の女性であるフェイの生い立ちが明かされる回のコールドスリープが印象的でして。

コールドスリープをはじめ、何らかの技術によって現世との時差を生きるのってめちゃくちゃ憧れませんか?

 

ひとつ、トップをねらえ等でお馴染みのウラシマ効果相対性理論的解釈で、世界のほうが時間の流れが早くなり、相対的に見ると時差が生じる奴ですね。

またひとつ、タイムスリップ。肉体まるごとのタイムスリップが王道ですが、刃牙道の武蔵のような意識・精神のタイムスリップもあります。

そしてもうひとつ、コールドスリープ。上のふたつは科学的に実現が難しそうですが、これは選択肢の中では現実的な感じがしますよね。

 

 

コールドスリープ技術は着実に完成へ

コールドスリープ実現に向けての扉が開くか? 神経細胞を刺激し、マウスを強制的に冬眠的状態にすることに成功(日・米研究) (2020年6月14日) - エキサイトニュース

 

リンクは直近のニュースから。コールドスリープ技術はこんな感じで着実に進化しているそうです。ですが、技術的可能性はさておき、技術行使についてはかなり否定的な意見も多く、前述のカウボーイビバップでもマイナスの文脈で使用されていました。実際にあったら邪魔だとか迷惑だとか、自分の身元を証明できないから目覚めたところで何もできないとも。

 

でも、そんなマイナスが気にならないくらいに憧れませんか?

目覚めたら、自分の知らない科学技術、自分の知らない歴史が押し寄せて、未知を多く感じられる。こんなの憧れを抱かざるを得ません。

 

 

実現可能になったら

お金もかかるだろうし技術的にもまだまだ先ですが、いつか実現可能になったらいいなぁ。そんなお話でした。

100年後、普通に生きたら確実に死んでるけど、わたしは何としてでも見たい見届けたい。できれば世界の終わりまで。

 

 

 

夢だったかもしれない思い出のゲーム

 

 

幼少の記憶は鮮明に残りがち 

幼少期の記憶は根が深く、未だに鮮明に覚えているものごとが多くあります。1999年、福岡ダイエーホークスが優勝した時に、近所のダイエーで「優勝記念!最大90%オフセール!」が開催されて、この「最大割引商法」をよく理解していなかった当時5歳のわたしは、うまい棒が1円で売られるのかと思い、小遣いの100円を握りしめて胸をときめかせながら買いにいった記憶は今でも鮮明に残っています。当然うまい棒は1円で売っているわけもなく、100円で10本買って帰りました。

 

その頃、わたしは父にはじめてゲームを買い与えられました。ゲームボーイカラードラクエ1・2ドラクエ3テトリス。この謎采配がいまの人格形成に深く関わっていることは言うまでもありません。

パズルゲームとRPGは都度新しいもの(古本市場で買ったやっすい中古ソフト)を買い与えられる英才教育が施されました。思い出深いソフトはテリワン、ぷよウォーズ、グランディアパラレルトリッパーズと色々あるけどこの話はまた後日。

 

 

我が家に一日だけ存在した謎のパズルゲー

 今回のテーマはこのあたりの記憶から。5〜6歳の頃、我が家に一日だけ存在した謎のパズルゲームがありました。なんとなく内容を覚えているのですが、検索しても一切出ないし、本当に存在したのか危ういんです。

 

以下内容

・確か灰色のソフト(カラーじゃなくても出来るやつ)。

・3Dパズルゲームで、10×10くらいのマスにxyz軸のあるテトリスみたいなブロック(3×3×3くらい。もっとデカいのもある)を積んでいく。俯瞰視点。

・我が家に一日だけ存在した。ルールを理解する前に家から消えた。

 

…こんな感じ。

 

 

あれは夢だったのかもしれない 

記憶が曖昧すぎて、小さい頃に見た夢なんじゃないかとも思っています。そもそもゲームボーイソフトで3Dパズルなんて作れるのか?とか、そういう技術的な部分も怪しいし…

 

もしご存知の方、少しでも覚えのある方がいらしたら、ご連絡いただければ幸いです。

「充電して何回でも使える単三電池」をお礼に差しあげます。

 

 

 

一日一想

 

特に誰かを笑かそうと思ったわけでもないけど、まとめて書きたい話題。そんな、質の悪い日常4コマで、起承承承みたいな流れのささいな話を一日一想、飽きるまで投稿してみようと思います。

 

 

筆者は何者でもなければ何もできない、人よりちょっと多趣味でちょっと面倒臭がりなだけのちょっとダメな人間ですが、少しでも反感以外の気持ちを沸き立たせる内容が書ければなと思います。

 

 

誰も傷つかないけど毒にも薬にもならない、脳内にあることをそのままに。そういう場です。長くは続かないと思いますがお暇な方はひとつよろしくお願いします。