一日一想

141文字以上の雑多な話題

人は死を避けて生活している

 

 

 

 

死について浅く考える

前回に引き続き死のお話。あえて死について、なるべく浅く考えてみましょう。

『「死」とは何か』という本があります。イェール大学というところで行われている人気の講義を日本語訳した本です。去年あたりにぱらぱらと乱読しましたが、なんとなくいまいちしっくりきませんでした。ざっくり書くと、「人は死んだら終わりです!無!でも自分が死んでも他の生きてる人は生き続けます!お前が死んでも世界は回るぜ!」「それでも死が怖い?どうせ年取ったらやりたいこととかなくなるからみんな死を受け入れるようになるぜ!安心しな!」みたいな内容だったような気がします。

この考え方を客観的な死とすると、ハライチ岩井の考えは真逆。「死んだらぱったりすべてが無!ほかの人とかもみんな消える!無だよ無!(澤部に対して)お前もいなくなるから!無!」みたいなことをラジオで言っていました。こっちのほうが人間味があっておもしろい意見だとわたしは思います。岩井いわく、「死んだらみんな0になるんだから働かなければ働かないほどお得、どれだけ頑張ってもいつか無になるなら頑張るだけ損」という話もしていました。一理ありますね。

 

 

死への忌避と恐怖

いきなり死の話題全開で始めましたが、基本的にみんな死の話題は嫌いですよね。答えがないので結論が出ませんし、何より怖いのでみんな避けて生活します。もしくは、宗教的観念から死を理解したつもりになります。(それを否定するつもりもありませんし、素晴らしい手段だと思います。)

宗教的に死を理解している人はさておき、わたしなんかは死の話題を日常的に避けていても、ふと夜眠れないときにふわっと考えたりすることがたまによくありました。「あれ?死んだらどうなるんだ?」って、中学生くらいの時分からですね。「死んだら無?無って何?夜神月も死んだら無って言ってた!じゃあ死神って何?死神とかにはならないの?何あれ??」といった具合です。死神が目の前にいるのに「死んだら無」って答える夜神月、サイコ。

ちなみに、このような死への不安から引き起こされる不安症のことをタナトフォビアと呼びます。死んだらどうなるのかという不安感に駆られ、生活に支障をきたすレベルになるそうです。タナトフォビア・シンドロームの人には、この記事は少々辛い内容かもしれませんね。

 

以上のように、死んだらどうなるかの答えは現状存在しません。ですが、死について考えるという行動に対する答えは4つ。①無に怯えるか、②無を受容するか、③宗教に縋るか、④宗教(自分なりの考え)を作るか。わたしは①。死はめちゃくちゃ怖いです。でも、この4つの解決法の外に、もう一つだけ答えを見つけました。、

 

 

 

霊よ居てくれ

そう、前回書いた通り、身心一如(しんじんいちにょ、肉体と精神は一体のもので分けることができないということ)ではないことの証明です。霊がいれば魂の存在を証明できて、死後について考えることが容易になります。死が「終わり」であると同時に「別の始まり」と認識することが出来るんです。

人は生まれながらにして死という絶望を、みな平等に持っています。その絶望に対抗する手段、おばけ。普段はみんなから畏怖される存在ですが、わたしは、もっともっと存在を待ち望むべきものだと思っています。